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不登校の子供たちにどう対処したらいいのか

子供が不登校などになれば、多くの方は信じられない思いをすると思います。そして、どうしていいか、途方にくれてしまうかもしれません。ここでは、不登校などになった子供がどのような心境でいるのか、不登校などの子供たちは一体何を求めているのか、また日常生活でどはそのように接していったらいいのかを、家庭内での対処という観点からみていきます。
ただ、一口に不登校と言っても、その様相はそれぞれの家庭によってさまざまです。ここに書いたのは、不登校の中でも親への反発が厳しくなって、親と子の間に心が通う場面が少なくなってきている、そんな状況の時のことを主に書いています。

そうでもない場合、つまり不登校状態ではあっても皆さんへの反発が目立ってひどくない場合は、それでも皆さんの心は大変でしょうが、静かに見守ってあげてください。
皆さんにして欲しいこと、して欲しくないことが出てきたら、彼らは皆さんに言います。それまではただ黙って見てあげることが一番です。不登校の子供たちとはいえ、彼らは自分の力で、十分に育っていきます。
いろいろな判断も、決断も自分でするでしょう。それを出来る限り尊重していってあげれば、彼らは自立できます。彼らを信じることです。これについては、別の項目で書きますので、それを参考にしていただけたらと思います。

さて、本題ですが、今の状況が厳しかろうが、どうだろうが、恐らく多くの方は、まさか自分の子供が不登校などになるとは、思いもしなかったのではないでしょうか。そして、それがはっきりしてきたとき、どうしていいか分からず、なぜかもわからず、大きな苦しみに襲われたのではないでしょうか。そして、今でもその苦しみの中におられるかもしれません。

今の皆さんが一番欲しいのは「どうしたらいいか」ということへの答えと、あるいはそれ以上に「今の私の苦しい心を分かって欲しい、救って欲しい」ということではないでしょうか。

多分一番辛いのは、子供の不登校をきっかけにして、皆さん自身が混乱してしまって自分を見失いそうになってしまうこと、それまで持っていた自信さえも失いそうになってしまって、母親として、あるいは主婦として、さらに一人の自立した人間としての自分を認めてあげることが出来なくなってしまう、そのようなことではないでしょうか。

そしてしばしば襲ってくるそのような苦しみに耐えようとするのですが、いつの間にかそれに飲み込まれてしまいます。そして、それによって「私は弱い」とまた自分を責めて、結局、その悪循環から逃れられなくなってしまう、そんな状態の中にある皆さんも少なくはないと思います。

そのような皆さんに特にお伝えしたいのですが、そのようなことが強いのか弱いのか私には分かりませんが、子供が不登校にでもなれば、自分を責めるのも当たり前、孤立感を深めてしまうのも当たり前、自分を見失ってしまうのも当たり前のことだということです。

私は不登校や、家庭内暴力、引きこもりを専門にするカウンセラーですが、このブログはその立場から書いているのではなく、私がまだ子供の頃、親に対してずっと求め続けてきて、今ではもうかなわなくなった親への願望、「こうであって欲しかったなぁ」という叶えられなかった気持ちです。


私は今の不登校の彼らとほぼ同じだったんです。いえ、あるいはすでに完全に親が嫌いになっていましたから(でも心の中では「認めて欲しい」という思いは十分に残っていたんですけど、それをキッパリと捨てたんですよ)高校の卒業式当日の夜に「お世話になりました」と言って家を出ました。そのままいたら、必ず自分の心は壊れてしまうだろうという予感からです。

それで、ここ10年くらいの間にノート7冊に書き溜めたもののエッセンスを作ったら、こんなものになったんですね。不登校や家庭内暴力、引きこもりの子供たちのために、皆さんに読んでもらいたかったのです。このために、ここの内容は、先に書いたように、「心の交流もなくなってしまったような状況」のことが主になっているのです。つまり目線の先にあるものは、不登校に陥っている皆さんの子供の
方です。

しかし、先に書いたように、皆さんが今本当に欲しいものは、子供に対してどうしたらいいかということもあるでしょうが、実は「その前の私の心を分かって欲しい」ということなんですよね。だから、それについても少しずつ書いていきます。きっと皆さんも、皆さんの心の中のどこかが「私のことを分かって!」と小さな声で訴えている、そんなことを感じておられるでしょうから。

これを読んでいただいた皆さんの心が少しでも楽になってくれたらうれしいですね。





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genre : 学校・教育

1.不安や焦燥感

不登校の子供たちを持つ皆さんにとっては、彼らのことが良く分からないことも、悩みや苦しみのひとつだと思います。
このサイトは、彼らとどう接したらいいのかをメインにして述べたものですが、最初は不登校や家庭内暴力、引きこもりなどに陥っている子供の心について書いてみようと思います。

と言っても、同じ不登校や家庭内暴力、引きこもりでも、子供の心の中は千差万別です。

そこで、一番最初にお断りしたように、ここに書くのは、特に皆さんとの間で心の交流といったものがすでになくなっているような場合です。なぜこのように限定するかというと、このような状況になっている場合は、皆さんが親として出来ることは限られてきて、その分、ここまでは一般論として書ける、という内容が浮き彫りにされてくるからです。

その浮き彫りになってきた部分だけを書いたと思ってください。


「子供の心」の1回目として、彼らが日常感じている不安や焦燥感を取り上げました。これは
不登校などの子供を苦しめているもっとも一般的な感情だからです。


この不安や焦燥感とは、何をしていてもそれに集中できない、何かが恐い、常に心が揺れ動いてしまう、あるいは何かを求めているのですがそれが何かが分からない、そのような感覚や感情です。

例えば彼らはよくパソコンに夢中になっているかもしれません。そして多くのお母さんとお話してみると、異口同音に「本当に夢中になっている」と言います。でもどうかなと思います。彼らはそのようなときでも、だいたい夢中になっているでしょうか。むしろ、不安や焦燥感から逃れる、いわゆる「逃避」の面が強いように、私には思えます。

彼らは常に自分が何をすべきかを考え、しかしそれが出来ない自分を感じて、不安や焦燥感に駆られています。この感覚はとても嫌なもので、本当に、何かに集中できないんですよ。
よく、勉強する時には勉強して、遊ぶ時には遊んで、と言いますが、彼らはその両方ができない。常に中途半端な状態に置かれているといった感じです。

もちろん勉強できたときには、とてもさわやかな気分になり、その後の遊びはとても嬉しいものです。けれども、勉強するということには大変なプレッシャーが伴いますから、なかなか出来るものではないので、だいたい、彼らはこのような不安や焦燥感に駆られた状態です。

ここに書いたのは、勉強という具体的な事を例にしましたから比較的理解しやすいのですが、本当に彼らが感じている不安や焦燥感は、もっとずっと根が深くて、具体的な理由が見つからない場合が多いのです。一体自分は何が不安で、こんなに落ち着かないんだろう、と思ってしまうこともあります。

不安や焦燥感の真の原因は彼らの深層心理の中に潜んでいるからです。だから彼ら自身、不安といい焦燥感と言っても、それさえ自覚できない、もった漠然とした何かで常に落ち着かない、というのが実態です。特に小学生などでは、その不安や焦燥感などは強いのですが、そのようなもとしては認識できない、何がなんだかわからないけど、落ち着かない、心が揺れて、何をしていいのか分からなくなる、うまく言えませんがそんな感じです。


書いていてもなかなか伝わらないもどかしさがあり、首をひねっている皆さんの顔が浮かんできます。本当はこれに対応する言葉があるといいのですが、私の知っている一番近い言葉がを探すと、不安とか焦燥感とかいう言葉を使わざるを得ないだけなのですが。

多くの皆さんは、日々苦しんでいると思います。そのような時に、なんかじっと座っていられない、何か分からない、目的もないのだけれど立ち上がってしまう、しかし立ち上がってもどうにもならないので、また座ってしまう、そんな感情に襲われたことはないでしょうか。
もしあったとしたら、それに近いものと思ってください。

このような経験がない方にはなかなか分からないかもしれませんが、いずれにしても、不登校の彼らは、いろいろな心の葛藤があって、一つのことに集中できない、常に何かに追われているような、そんな不安や焦燥感の中にあると思ってください。



第1回目の「子供の心」はこれで終わりです。次回は落ち込みについて書きます。

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2.落ち込み

子供の心の2回目、落ち込みについてです。
これは不登校とか家庭内暴力とか引きこもりとかには直接関係ないんですが、彼らの心の苦しみの一つとしてこういうこともある、ということで書きます。

皆さんも落ち込みは経験したことはあると思います。彼らもまたしばしば非常に強い「落込み」に襲われます。

皆さんもひどく落ち込んでしまってメゲてしまうこともあるかもしれませんが、彼らの落ち込みも相当なものです。

皆さんも経験があるでしょうか。落ち込みが襲って来るときには分かります。「来た来た来た・・・・」という感じで、心の中に真っ黒い雲が広がってくる、そんな感じで結局落ち込んでいきます。

彼らも何とかしようと頑張るのですが、その気力がなかなか沸いてきません。この気力が湧いてこない、ということも、あるいは皆さんにもお分かりいただけるかもしれません。自分の心が思い通りにならないのは辛いことですね。

このためほとんど「ウツ状態」のまま時間だけが過ぎていってしまうのも稀ではありません。
そして、そのような無意味な(?)時間を過ごしてしまう自分を責めたりします。

でも本当は無意味な時間ではないのです。皆さんが落ち込む時にも、それは決して無意味なことではなく、それを皆さんの心が要求しているのです。皆さんはきっと、そのような時に自分の心を奮い立たせようとするでしょう。

それが出来る時はいいですけど、出来ない場合でも、「この時間は私には必要なものなのだ」と考えて、じっと耐えてください。ただ耐えるのであって、「私は弱い」などと自分自身を攻めないことです。

だって今落ち込んでいる自分が、それが本当の自分なのですから。本当の自分を攻めたら、かわいそうですよね。皆さんにも、その本当の自分、ありのままの自分を、しっかりと抱きしめて、大事にしてあげていただきたいと思います。

すみません。今回はこれだけであまり内容はありませんでしたが、でもこれも彼らの心の内の一端ですから、そういうものかと思っていてください。

次回は、彼らの「自意識」についてです。

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3.過剰な自意識

今回は彼らの自意識について書きます。

彼らはさまざまな面で苦しんでいるのですが、行き着くところ、それをすべて「自分の弱さ」と感じてしまいます。そのような結論への持って行き方は明らかに間違いなのですが、ほとんど自動思考のようなもので、防ぎようがありません。

このようなことは、皆さんもありませんか?「ああ、私はダメだな」とか、「私だけだろうな」とか、いろいろ思ってしまった、そんな経験がある方も多いかもしれません。

それは誰しもそうで、「自分は弱い」と思ってしまうのは、普通の方であれば、ごく自然なことです。

そして、大事なこと、それは前回も書きましたが、「ああ、私は弱いんだ」と思ってしまう本当の皆さんの心をそのまま受け入れることです。そのままでいいんです。本当の自分を責めるのは、よくありませんよね。

もっと強い自分、何事もテキパキと処理できる自分、そうなりたいと思うこともありますよね。でも実生活はテレビドラマとは違いますよね。

他の自分になる必要などありません。そのような「自分は弱い」と思う自分の心をしっかりと受け止めてあげること、それが皆さんが皆さん自身であることの証(あかし)なのです。自分の心に正直な皆さんは、喜怒哀楽を素直に感じて、それを素直に現すことができるステキな一人の大人なのではないでしょうか。

彼らにしても本来はそうあるべきなのですが、しかし、彼らもまた、自分を責めてしまいます。そのような「ダメな自分」を、しばしば回りの誰それと比べてしまって「彼らよりも劣っている」と感じてしまうんですね。

そして彼らはそんな自分は許せませんから、そのような自分の「弱い心」が表に現れて、人に知られてしまう、人にいろいろ言われる、非難される、叱られるなどのことを、とても恐れるようになってしまいます。そして徐々に、必要以上に周囲の目線に敏感になります。

そのような心が彼らの心身を縛りつけ、人に対してどのように接したらいいのか、どう振舞ったらいいのかも、よく分からないことがしばしばあります。あまりに強い自意識のために、かえって自分を見失ってしまうと言ってもいいかもしれません。
普通は何でもない人との交わりも極度の緊張をもたらすものになります。平たく言えば人目が恐くなるのです。

いわゆる自意識過剰の状態ですが、これが進めば彼らは自分の心を決して人に見せず、硬い鎧で覆ってしまい、真の自分を隠すようになってきます。

そしてとりわけ、親である皆さんに隠すようになってきます。

なぜかというと、後述しますが、彼らの心の中には、「自分の苦しみを見せても、親はそれを分かってはくれないだろう」というあきらめ、「親に認めてもらいたい」という思いからくる、自分の弱さを隠そうとする意識、、また皆さんに対する「反発」などが複雑に同居していて、自分の弱い部分は、特に皆さんには読まれたくないからです。

このような彼らの苦しみも、例によって心の奥深くの問題で、彼ら自身の力ではどうすることもできません。

このような過剰な自意識も彼らの苦しみの一つです

今回は以上です。

次回は、(これも重いですが)「自己嫌悪」です。

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4.自己嫌悪

今回は不登校の子供たちの多くが感じている「自己嫌悪」についてです。

心の問題を抱えた子供たち、特に不登校や家庭内暴力、引きこもりなどに陥っている子供たちはとりわけ、とてもよくものを考えます。考えすぎると言ってもいいくらいです。

当然ながら、彼らは自分のことも多く考えるのですが、そのときに冷静に自分を分析できればいいのですが、彼らの抱えている問題の原因のほとんどが彼らが意識できない無意識の領域にあります。これは今まで何度も書いてきました。だから、彼らには自分を分析することは、なかなか出来ません。

このこと、つまり自分では自分の苦しみの原因を冷静には判断できないというのは、実は皆さんも同じなのではないでしょうか。

皆さんは子供が不登校になったから大変だ、だからそのことが原因で苦しんでいる、と思っていますよね。それはそうなのです。

でも、このような例を挙げて不謹慎かもしれませんが、世の中には子供さんが不治の病にかかっていて、その看病に毎日追われて、それでも明るくたくましく生きている方はたくさんおられます。

皆さんの場合、これも不謹慎な言い方ですが、子供さんが不登校になっても、命まではとられません。にも係わらず、皆さんの苦しみは一晩で髪が真っ白になるくらいの苦しみです。いったい何が違うのでしょうか。

例えば、不治の病であれば、周囲もその苦しみを分かってくれます。しかし、不登校の場合、本人の苦しみも、皆さんの苦しみも、周りの方はなかなか分かってはくれません。このようなことは一つの大きな違いでしょう。

また、皆さん自身、子供の不登校に責任を感じてしまうこともあるかもしれません。場合によっては、皆さんは無知の人々から、「ダメな親」という視線を向けられるようなこともあればなおさらです。

そのようなことは、皆さんの心をとても苦しめるでしょう。

でもそれだけではないと思います。例えば、自分の子供が不登校になったと分かった時には、絶望的な気持ちになりませんでしたか?

なぜ、そのような気持ちに襲われたのでしょうか。彼らに未来がなくなったと思われた方もいらっしゃるでしょう。でも冷静に考えれば、彼らの未来なんて彼らの心が元気であれば、いくらでもありますよね。

他の子供たちが歩む、普通の道からドロップアウトしてしまった、と感じてしまったからでしょうか。
そうかもしれません。でもこれも同じで、何も他人と同じ道を歩かなくても、これも彼らの心が自然に解決していく問題ですよね。困難はともなうかもしれませんが、その分、とても生き生きとした人生を歩めるかもしれません。

あるいは、周りの人に顔向けができない、ということもあったかもしれません。でも、これも冷静に考えれば、それに対していろいろ言う人の方が間違っているのです。

しかし、私なり誰なりがいくら冷静に、客観的に、「そのように考える必要はありません」と言っても、おそらく皆さんは、それでもそのような苦しみを解消できないのではないでしょうか。

なぜならば、皆さんの苦しみもまた、理性では割り切ることができない、無意識の領域の中に、真の原因があるからです。

皆さんの心の中に、「子供は普通に学校に行って・・・」という抜きがたい無意識的な価値観があって、またその周囲には、他にもさまざまな無意識の価値観があって、それらが皆さんを苦しめているのではないでしょうか。

そして、話は複雑になりますが、上に書いたような、真の原因は自分ではなかなか変えられない無意識にはぐくまれてきた価値観にある、ということもまた、皆さんはお分かりになっていると思います。でも、どうすることも出来ない、つまり、皆さんの苦しみというは、二重、三重にも複雑に積み重なった、重い苦しみと言えるものなのです。

皆さんは自分を責めます。しかしこのような苦しみに耐えられる方は、そう多くはいません。

話を彼らに戻しますが、彼らも同じように、無意識の中に原因がある分けの分からない苦しみと戦っています。

そして彼らはそのような苦しみを感じる自分は一体なにものなのか、ということを常に問い続けるようになります。これは彼らの存在価値そのものへの疑問ですよね。そしてほぼ例外なく行き詰ってしまいます。

行き詰った先には何が残るでしょうか。自分さえ確立できない自分、他の人には出来ることでも自分には出来ない自分、そのような情けない自分の姿だけなんです。彼らの認知の限界で、そのような姿は全く間違っているのですが、それに彼らは気づきません。

そして彼らは、いつしかそのような自分自身を認めることができない、愛することができないという状態に追い込まれていきます。
たとえ過激な家庭内暴力で親を攻め立てている子供であっても、彼らが最も認めることが出来ないのは、彼ら自身です。むしろ、自分が好きになれない、認めることが出来ないからこそ、そのイラツキを身近な人間にぶつけてしまう、これが家庭内暴力です。

不登校や引きこもりの場合であっても、彼らが真に責めているのは彼ら自身の弱さなのです。
皆さんから見れば、彼らは我がままや身勝手そのものかもしれませんよね。でも、そういう次元とは別の処で、彼らは戦っているのです。


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5.混乱

このように、彼らは不安や名自己嫌悪やらなにやら、いろいろな心の苦しみの中で日々もがいているのですが、そのようにしながら年月が過ぎていくと、彼らは自分の姿を見失い、また自分が本当は何を望んでいるのか、どのような人間なのかさえ分からなくなっていきます。

つまり自分や周囲を冷静に見ることが出来ず、混乱した心を抱えて日々を過ごしているのが彼らの心の姿と言ってもいいでしょう。

こんなことを書くと、彼らは怒るかもしれませんね。でもそうなのです。
自分が分からないっていうことは、そういうことなのです。

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6.分かってもらえない苦しみ

今回は「分かってもらえない苦しみ」についてです。ここは彼らの不登校や家庭内暴力や引きこもりに対処していく上で、とても大切なことです。

おそらく思春期以降、彼らの心の中の苦しみで一番大きいのがこれだと思います。骨折や身体の病気であれば、人は分からないまでも推察し、分かろうともしてくれます。
しかし彼らの心の中の苦しみは外からはまったく見えません。仮に彼らがそのような苦しみを友人なりに表明できたとしても、それを聞いた友人の反応は「?」で終わって、「変わった子」というレッテルを貼られておしまいです。

もし、皆さんが子供の不登校のことで本当に苦しんでいたとしたら、同じように誰かに分かってほしい、何でもいいから分かってもらえる人に話を聞いて欲しいと思いませんか。

でも、なかなか分かってもらうことは難しいですよね。他の人は、自分のことに手一杯で、皆さんの苦しみのように、目に見えないことには、人はなかなか理解してくれません。それどころか、配偶者の理解さえ得られないかもしれませんね。

もしそうなら、彼らも同じ思いでいると思うと、何となく彼らの気持ちもお分かりになるかもしれません。分かってもらいたい、でも分かってもらえないというのはとても苦しいものです。

そして彼らは、親である皆さんに対して、特に分かってもらいたいと切に願っています。というのはちょっと違うかもしれませんね。同じようなことなのですが、「分からなくてもいい、認めて欲しい」という方が正確ですね。不登校や家庭内暴力、あるいは引きこもりになって、もう皆さんとの間に心の通うような会話もなくなっているような場合には、分かってもらうようなことはもうあきらめているかもしれないからです。

でも、認めてもらいたい、ということは、いつまでたっても消えません。なぜならいずれ書きますが、彼らが一人の人間として自立していくためには、どうしても、彼らが信頼できる大人の誰かに認めてもらわなければならないからです。

だから彼らは、皆さんに「何でもいい、自分がダメなことは分かっている。だけど、そのままの自分を認めて欲しい、受け入れて欲しい」と願うのです。彼らの存在そのものがかかっているからなのです。決して大げさな話ではありません。

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7.不登校へ

なぜ彼らは不登校になるのでしょうか。

不安や自己嫌悪や強すぎる自意識などに苦しんでいる子供にとって、学校は緊張を解くことができない場です。そこでは気を休めることができません。何か一つのことがきっかけになって、それまでは我慢して押さえつけてきた不安が頂点に達して、ある日の朝から登校出来なくなる、これが不登校の始まりです。
そのきっかけは、生徒間のいじめや教師の不適当な発言、友人との心の行き違いなど、いろいろなことがあります。
その一つ一つは親から見れば些細なことかもしれませんが、彼らにとっては深刻なことであることは言うまでもありません。
学校へ行きたいと一番痛切に願っているのは、親でも教師でもなく、彼ら自身です。彼らは自分の弱さを認めたくない、強い人でありたいと願って、それを証明するためにも学校に行かなければなりません。
しかしいざ行こうとすると、その度にプレッシャーが襲ってきます。そのプレッシャーの強さは大変なもので、登校寸前になると、本人の意思とは無関係に腹痛や発熱などの身体症状を起こさせるほどのものです。

こうして、彼らは心の闇の出口が見出せないまま、不登校が始まります。
余談ですが彼らにとって一日のうちで最も辛い時間が、朝目覚めた瞬間です。「また一日が始まってしまう」という思いと共に、不安感・恐怖感が津波のように襲ってきます。

そして皆が学校に行ってしまった時間になると、安心感から少し楽になり、夜一人になった時が一番楽な時間です。

彼らはそのような一人だけの楽な時間が過ぎていくのを惜しみ、徐々に寝入る時間が遅くなり、このようにして昼夜逆転していくのが、自然な流れと見ることができます。

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8.認めて欲しいという思い

先に子供たちは「分かって欲しい」、「認めて欲しい」ということを願っていると書きました。
なぜ彼らはそのような感情を抱くのでしょう。必ずしも確定的ではないのですが、多分こういうことだろうということを書いてみます。

子供は大人になっていくために、それぞれの発育段階に応じて、親や周囲とのやり取りの中で獲得していくものがあります。
これは親との信頼関係であったり、自分を主張できる自我であったり、自分はこのままでいいのだという自己肯定感であったり、そのそれぞれが大切なものです。

そしてこれらは普通の状態であれば、親や周囲も特に意識することなく、当たり前の日常生活の中で自然に身についていくものです。

例えば乳幼児の頃には、親は子供を見ると、ついあやしたくなり、微笑えませたくなる、そのような経験は皆さんもあるでしょう。赤ん坊は、目も鼻も口元も、どこをとっても丸っこい、このことが攻撃衝動などを和らげ、思わずケアしたくなる衝動を生むと言われていますが、いずれにしても、親や周囲は思わず赤ん坊を見るとあやしてしまいます。

するとそれに応えて子供が微笑んだりすると、親や周囲は特に意識しなくてもさらに子供をかわいがるように、つまり愛情を注ぐように振舞ってしまいます。
このようなやりとりは、親子の間の信頼感を作っていく上で、とても大切なことで「愛着形成」などと言われています。

また、少しすれば今度は小さな自我の芽生えが始まります。それは「川の方まで歩いていきたい」であったり、「これは私のものだから触ってはいけない」だったりの自己主張です。このような時にも、それが許されるなら周囲はそれを許して、許されないことは禁止する、そして子供は自分の意志でさまざまことを試み、成功や失敗を繰り返しながら「何が許されて何が許されないか」ということを学び、「自分の意思で動く」という健全な自我の基盤を作っていくことができます。

注意して欲しいのは、子供がこのようなことを学んでいくためには、親や周囲との間に先に述べた信頼関係つまり子供の側に「親を信頼する心」や「親に愛されている」という安心感といったものが必要といいうことです。このような心があってはじめて、彼らは親や周囲の言葉を素直にそのままの意味で受け取ることができるからです。
例えば「それはしてはいけない」という禁止は、子供の心の枠組みを作るにあたってとても大切なことですが、もし子供に「自分は親に愛されている」という愛着形成の時に形成されるべき感情が心の中になければ、この「禁止」は子供にとってはただの「親の突き放し」になりかねません。「自分は愛されていない」というネガティブな感情を生み出してしまったりすることにもなりえます。

つまり、子供の心の成長とは、常にその前に達成しておくべき課題があって、その上に立って次の課題をクリアしていくといった段階的なもので、途中を抜かすと上手くいかなくなる、そのようなものだということです。

このようにして、子供は徐々に社会に出て行くために必要な心を作っていくのですが、学校を含め、子供が社会に出て行くということは大変なことです。そしてこれを円滑に行っていくためには、やはり親や周囲の手助けが必要で「お前はそのままでいいんだよ」、「大丈夫だからね」という「承認」がこれにあたります。
つまり親や周囲の人間によって、一人前の人間として認められることです。

これもまた日常生活で自然に身に着けていくことで、「お前はもう一人前だから大丈夫」などとは普通は口にする機会はなくて、徐々に子供自身による決定の範囲を広げていって、親や周囲からの口出しが減ってくる、そのようにして徐々に一人前の人間として扱うようになる、そのようなことでしょう。

このような「承認」が達成されることによって、子供は始めて社会に出て行くための自信を得ることができるのですが、それが達成されるためには、ここでもやはり、それ以前に作られている親子の間の信頼関係や、子供の健全な自我が必要であることはお分かりいただけると思います。

今回は長々と書きましたが、いずれにしても、子供は自分の力だけで自分の心を作っていくことはできずに、むしろ周囲がその心を作っていく、その中でも、社会に出ていくためには周囲から「お前は大丈夫だよ。そのままでやっていけるよ」と認めてもらう必要がる、ということは分かっていただけましたでしょうか。

長かったです。どうもお疲れ様でした。次回はこれの続きです。今度は短いですから安心してください。

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9.なぜ「認めて欲しい」と願うのか

子供の心の成長とは実際は、一つ前に書いたように単純なものではなくて、もっとたくさんクリアすべきこともあるのですが、だいたいこのようなことです。

ではここで「認めて欲しい」とか「分かって欲しい」とか「愛して欲しい」とかいうのはなんでしょうか。
これは恐らく上に書いたような子供の成長過程で、何か必要なものが、何かの事情で欠けてしまった、それによって子供は心の中に原因が分からない不安や混乱を感じて、同時にその欠けたものを無意識のうちに補おうとするのではないかと考えています。

それらの心の働きは、今も書いたように全て無意識の中のものですから、彼ら自身にも明確に分かるものではありません。しかし彼らは、「何かが欠けている」、「もし、このままの自分を認めてもらえたら・・・」、「もし無条件で愛してもらえたら自分は助かる」といったようなことを、同じように無意識の内に感じるのでしょう。

つまり彼らのこのような感情は、たりなかったところまで戻って自分の成長過程をもう一度やり直そうとする心の働きで、そのために彼らは心の苦しみを抱えながら「認めて欲しい」とか「愛して欲しい」とか、そのようなことを親や周囲に求めているのではないかと思えます。

続きは次回です。



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10.叶えられない「認めて欲しい」という思い

前回、彼らはなぜ「認めて欲しい」ということにこだわるのかを書きました。その続きですが、しかし彼らは、このような欲求の元になる部分は、何度も書きますが、あくまでも無意識の領域のことで、彼らにはその理由も、はっきりとした説明もできません。ですからそれは「甘え」や、分かってもらえない事へのイラツキといった態度で表すより他に方法がありません。

一方、親や周囲も子育ての中で意識的にこのようなことをやってきたわけではないし、彼らにしてもそのような子供の欲求は何のことか分かりません。


このようなために、彼らの「認めてもらいたい」とか「愛してもらいたい」という子供の気持ちは親にはほとんど理解されないで過ぎていってしまいがちです。

さらに今、不登校という現実の前では、彼らはそのような感情を表に出しませんし、皆さんにしても、皆さんが考えてきた子供の将来像とあまりにも違ってしまって、言われたところで、そのままの彼らを認めるなどということは、とても出来ないことでしょう。

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1.話は聞くだけ

いよいよ具体的に、不登校や家庭内暴力、引きこもりの子供に対して、日常生活の中でどのように対処していったらいいかです。

まずは言葉や会話から入ります。言葉や会話はなにしろコミュニケーションの主役ですから、影響力もなんといってもダントツです。言葉は両刃の刃とも言われますが、そのことを表しているのでしょう。

対処の1回目は「話は聞くだけ」というテーマです。

子供の話を聞いていれば、その内容が親として納得できないことも多いと思います。するとどうしても、その話の内容に踏み込んで、意見を言ってしまいがちです。

しかしそうせずに、「なぜ彼らはそのようなことを口にしなければいられないのか」という気持ちで彼らの言葉を受け止めながら聞く、あるいは「この子はそのようなことをいわなければならないほど追い詰められているんだ」としてそれをそのまま受け入れてしまうことが彼らの心を楽にしていきます。
これが、ここで言う「話を聞く」ということです。

彼らから話を振ってくるときでも、しばしばそれは親の意見が聞きたいのではありません。(全部が、ではないですから、それは判断してください)

そして不登校になるような子は決しておバカではなく、ひたすら考えている分、一般に平均的な子供さんなどよりもはるかに理解力はありますから、彼らは親がどんなことを言うのか、事前によく分かっています。これは本当です。
なぜ話しかけてくるのか、それは話の内容ではなく彼らの心を受け止めて欲しいからだと思ってください。

とは言え、自分の意見などを言わずに、ひたすら「話を聞く」というのは実際にやってみると大変な労力がいることだということが分かります。

不登校や家庭内暴力、ひきこもりという状況の中では、際限のない、身勝手としか思えない非難や、とても世間では通用しそうも無い理窟で攻め立ててくることも決してめずらしくはありません。
聞いていればイライラしますし、腹も立ちますし、何よりもエネルギーが吸い取られていくような疲労感も感じてしまうものです。

しかし、話を聞くこと、これが第一歩ですから、とりあえず限度一杯頑張ってみてください。


子供の苦しみや何を考えているかなどは分からなくてもかまいません。他のところでも書きましたが、彼らの心の苦しみは、彼らだけのものです。所詮どこまでいっても彼らの苦しみというのは分からないことです。

彼らの苦しみは彼らだけのもの、というのは、何となく不自然に聞こえますか?皆さんも苦しんでおられます。でも本当の意味で、それを分かちあうことは出来ませんよね。

例えば、いろいろなホームページなどで、同じ不登校の苦しみを感じているお母さんの話を読んだり、あるいは、掲示板で会話したりすると、心が軽くなりますね。それはとても良いことですよね。お互いにとても共感できます。

だったら、わざわざ「彼らの苦しみは彼らだけのもの、皆さんの苦しみは皆さんだけのもの」などと回りくどいことを言わずに。「お前の気持ちは分かるよと言って、しっかりと抱きしめてあげてください」と書かないのか、と思われるかもしれません。

でも、それは書けないのです。なぜなら、彼らの心の中には、「こうなったのは親のせい」という気持ちがあるかもしれないからです。
再三書きますが、今想定しているのは、皆さんと彼らの心が離れてしまっているような場合です。そのような場合、しばしば、彼らの心の中にあるのが、「親が自分をこうしてしまった」という思いなのです。

想像していただきたいのですが、もし皆さんが、事実はどうあれ、誰かによって苦しめられている、という意識があったとして、その人が「君の気持ちはよく分かるよ」などと言ったら、「ふざけるな!」と言いたくなりませんか。それと同じなのです。

私自身、このブログで、再三、子供の苦しみと皆さんの苦しみをオーバーラップさせてきました。それは皆さんの感じている苦しみは、彼らの感じている苦しみとよく似たところがたくさんあるからで、皆さんに彼らの感じている苦しみを、少しでも想像して欲しかったということもあります。そして、「ああ、こんな感じなのかな」と思っていただいたところもあるでしょう。

しかし、それは感じるのであって分かることではありません。共有はできないのです。

話が広がりますが、それは苦しみだけのことではありません。
子供さんが不登校になってしまっても、皆さんの人生は皆さんの人生、彼らの人生は彼らの人生と、しっかりと割り切って欲しいのです。

これは彼らに対して冷たい、ということではなく、そうすることによって初めて、皆さんと子供との間に建設的な関係を築くことができるからです。

話が脱線しましたが、彼ら自身、彼らの苦しみを分かって欲しいとは望みません。彼らはその苦しみをそのまま受け入れて欲しいのです。「ああ、辛いんだね。でも何があっても、お前は私の子供だよ」、例えて言えば、このような言葉であり、態度を、子供は欲しています。

「話を聞いてくれる」ということだけでも、子供は「認めてくれようとしている」と感じることができます。それが子供にとっては、今現在最も必要な成長のための糧になるのです。それが彼らが望む「認める」ということの第一歩です。

何度も書きますが、自分の意見を言わず、ただ話を聞くということは思った以上に大変なことです。

でもこれが彼らへの接し方で、本当に大事な第一歩になりますから、出来るだけやってみてください。
でも、このようにしていれば、やがて必ず子供は心を開いてくれます。

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2.皆さんからの言葉かけも最小限に

先に書いたことから、さらに踏み込むのですが、皆さんの側からの言葉かけも最小限に留めておきましょう。これは子供からの反発が特に強くなってきたら、ぜひ実行してください。家庭内暴力などの時には必須項目です。

単に話しかけられた場合だけではなく、彼らの日常の言動に目にあまることがあれば、親としては注意したくなること、あるいは常日頃から感じてきたことをぶちまけたくなることもあるでしょう。
しかし、このような場合でも、できるだけ親の側から発言するのは避けてください。発言してもいい内容は「そうね」、「そういうこともあるね」くらいの、「相手の発言をそのまま受け入れている」ことを示す、そんな言葉だけにしてください。

皆さんの子供の言動に対する評価が正しいとか間違っているとかいう問題でもありません。むしろ皆さんの言葉が世間一般の常識に沿った妥当な意見であればあるほど、子供は反発を感じます。
「なんで分かりきった世間一般の価値観でしか自分を評価してくれようとしないのか。そういうフィルターを通さずに俺が見れないのか」、そのような反発心です。

皮肉でも何でもないですから誤解しないでいただきたいのですが、皆さんが母親として、あるいは社会人として、夫や妻として立派であればあるほど、このようなことは理解できないことかもしれません。でもそうなのです。

世間で立派に通用する言葉や内容ほど、彼らは反発を感じてしまうのです。
分かりにくいかもしれませんが、とりあえずそうしてみてください。

状況が激しければ激しいほど皆さんからの言葉かけはできるだけ避けてください。

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3.使ってはいけない言葉

これは特に不登校や引きこもりでなくても、子育て全般にも当てはまりますが、日常でつい使ってしまうのですが、その意味以上の内容を子供に与えてしまって、子供を傷つけたり、縛り付けたり、そのように働いてしまう言葉があります。それは避けてください。これは出来るだけ具体的に思いつく主なものを挙げてみました。これが全てではないのですが、いずれにしても彼らのプライドや尊厳を傷つけたり、彼らを突き放すように聞こえてしまうしつけの言葉などは、極力注意してください。

●子供の尊厳やプライドを傷つける言葉

子供に対して注意をしなければならない場面はどうしてもあります。そのような時には、その場での、その事柄だけに絞って注意してください。過去のことや、子供の性格などについてまで、拡大しないことです。

例えば「部屋を片付けなさい。いつも言っているじゃないの」と注意するようなことは日常よくあることです。

これを例にとって説明しますが、だいたいの子供は、親に注意されるようなことは、心の中ではいつも気にしています。この例では「部屋を片付けなければ」といつも思っているのです。

しかし、勉強などと同じです。ちょっと遠ざかっていて、その「片付けなければいけない」というプレッシャーが強くなればなるほど、逆に心の中の抵抗も強くなってきて片付けることが出来なくなってくる、ということもあります。彼らは片付けなければ、とは思っているのです。

しかしここで親から「いつも」と言われると、そのプレッシャーが形を変えて、「そんなことはない」、「私だって片付けようとしている」という強い反発になることもあります。あるいは「やっぱり自分はダメなんだ」、「親は自分を好きではない」といったネガティブな感情に子供を追いやってしまうこともあります。

そしてなによりもそのような言葉の裏には「本当にしょうがない子ね!」という親のイラついた、否定的な感情として、子供の心には響いてしまい、これは何よりも子供を傷つけます。

●「自分のことは自分でしなさい」、「人に迷惑をかけないようにしなさい」

皆さんの意識の中ではまったく違うのでしょうが、また言い方やその場の状況にもよるのでしょうが、子供の側からは「突き放されているような」そんな風に聞こえてしまう言葉があります。
ここで例として挙げた言葉は、その典型です。子供の将来のためのしつけとして必要なこととも言えますが、しつけは彼らの心が元気になってからでも遅くはありません。

実は回りくどいようですが、ここに挙げた言葉はさらにまずいことがあります。お分かりでしょうか。
彼らはどうしても、皆さんの言葉をストレートに受け取ってしまう傾向があります。そうすれば皆さんが自分を認めてくれる、そんな風に感じてしまうこともその一因なのですが、この「自分のことは自分でしなさい」といった言葉は、彼らの心の中に、人に頼ってはいけない、それは弱いことなのだ、いけないことなのだ、という間違った自立心を定着させてしまうことになりかねません。これはとてもやっかいなことなのですよ。
彼らは困ったときにも誰にも素直に相談して助けを求めることが出来ずに、結果としてさまざまな問題を自分の中に抱え込んでしまうことにもなります。大げさに聞こえるかもしれませんが、それが彼らの心だと思ってください。
例えば学校でいじめに会っても、自殺を考えるまでに追い詰められたとしても、その苦しさを親や周囲に素直に表現することができません。したくてもできないといった方がいいでしょうか。
だから彼らが自殺した時に、遺書によって始めて親に事情が分かる、などという悲劇が起こるのです。もう皆さんがこれを読んでくれなくなるかもしれませんが、あえてシビアに書くと、彼らが最も本心を見られたくないのが、実は皆さんなのです。
ねえ、皆さん。私たちはお互いに迷惑をかけ、迷惑をかけられながら生きればいいのではないでしょうか。

ご存知ですか?これは統計的に証明されているのですが、アメリカでの研究だと思いましたが、大家族と核家族で病気の発生率を比べた場合、大家族の方が有意に発生率が低いんです。

大家族の経験がない方がおられるかもしれませんね。お正月に親戚中が集まったような場面を思い浮かべてください。子供がごちゃごちゃいて、騒ぎまわって、迷惑をかける掛けないという状況ではないですよね。それでもいいのです。

食べ物を踏んづけて親に張り倒され、ばあちゃんには甘やかされ、自分では隣のいとこをひっぱたいている、そうして子供は育つのです。
「しつけ」は彼らが立ち直ってからでも十分に間に合いますから、それまでは出来るだけ受け入れる姿勢に徹して、いいことも悪いことも、情けないことも、立派なことも、とりあえず子供の言葉はすべて受け入れるようにしてみてください。


●「しっかりしなさい!」、「がんばりなさい」

これも状況によりますが、「しっかりしなさい」などの言葉は叱責に近い言葉として、子供には聞こえてしまう場合があります。「自分はやっぱり認められていないんだ」、「しっかりしていないんだ」という意味に捉えられるからです。「しっかりしなさい」と言われても、不登校の子供などは46時中しっかりしようと頑張っていて「何で他の子と同じようにもっとしっかりできないのか」と自分を責めています。それ以上どうやってしっかりしたらいいのかわからないし、自責の気持ちをさらに強める効果しかありません。

その証拠というわけでもないのですが、「方の力を抜けよ」と言われても、彼らにはわかりません。そういう経験をしていないから、あるいは彼らの固い心がそれを許さないからです。
「がんばりなさい」などもまったく同じ意味になります。

以上、使ってはいけない言葉を例と一緒に挙げて説明しました。このような言葉を使うなと言われても楽ではないですよね。でも先々は楽になります。皆さんも少しずつでいいですから、これを試してみてください。

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4.答えられない問いかけはしない

例えば、「なんでそれくらいのことで、学校に行けないの?」、「学校に行かないで、これからどうするの?」などの言葉は、親にしてみれば当然聞いてみたいことですが、受け取る子供の側にしてみれば、それにはっきりと答えられる言葉を持ちません。

もし皆さんが、勤めている会社がどうしても嫌で、そこを止める決心をしたとしましょう。その場合、誰かにその理由を説明しようとしても、相手が納得できるような、理路整然とした説明は難しいのではないでしょうか。

「上司がいろいろ言ってくるの」と言えば「そんなの会社では当たり前だよ」、「適当に無視していればいいじゃない」、「上の人に相談しなさいよ」・・・etc.

皆さんなりのそれ相応の理由は確かに心の中にはあるのです。しかしどの理由をとっても、「それはね」と反論されるような内容ばかりです。それを説得しようと思って、そのために話を整理すればするほど、本当の理由からは遠ざかっていってしまう、皆さんにはそんな経験はないでしょうか。
それと同じことです。

ここでは直接的に不登校の理由を尋ねることを例にあげましたが、この他にも、彼らが答えようにも答えられないことはたくさんあります。

不思議なことに、親が知りたい核心的な問題こそ、子供にとっては自問自答を繰り返して自分を責めながらも答えることができない深刻な問題なのです。何度も書きますが、ことは無意識の領域のことですから。

このようなことを聞かれるのは、子供の側にしてみれば尋問を受けるのと同じで、「自分は責められている」、「やはり自分はとても弱い人間だ」あるいは「親は自分を分かろうとしない」という気持ちにさせられてしまいます。追い込まれていくのです。

重要な、皆さんが聞きたい質問こそ、してはいけない質問だと思ってください。話したくなったら、自分から話してきます。それをじっと待っていてください。

今回のテーマはここまでです。

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5.約束はしない


不登校になり始めなどの時には、例えば交換条件などで約束をしてしまうことがあります。
「学校に行ったら何々を買ってあげる」などの約束です。
子供は親に認めてもらうために頑張ります。それで約束を守ることができれば、自信につながり、それはそれでいい結果が得られるかもしれません。
しかし約束を守れなかった時には、子供が「やっぱり出来なかった」、「約束守れなかった」という心の傷を一つ増やすだけの結果になり、これは明らかにマイナスです。

また、子供からの約束もあります。これもよくある例ですが、子供が夜になって「明日は必ず学校に行く」と約束することはよくあります。自分自身を励ますためであったり、親に評価してもらうためだったり、そこにはさまざまな心の動きがあるでしょう。

しかし皆さんの側では、その件については「そう」ぐらいに、軽く流しておいた方が無難です。

その決心は尊重すべきですが、結果に期待すべきではなく、まして「夕べは学校に行くと言ったでしょう。嘘だったの?」などは絶対に言ってはいけません。少なくてもそれを言った時には、彼らは本気だったのですから。

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6.挨拶だけはする

「話しかけない」という今までの内容と矛盾するようですが、このような状況の中でも、できれば挨拶だけはきちんとしてください。ただこれも「おはよう」、「おやすみ」、「行ってらっしゃい」、「おかえり」などだけに絞ります。
これは「余計な言葉はかけないようにしているけど、無視しているのでも嫌いになったわけでもないよ。お前を見守っているよ」というサインになるからです。

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7.どちらか一方は子供の側に

これは状況がタイトになっている場合は、非常に大切な親のスタンスの取り方です。

両親がそろっている場合、どちらか一方は必ず子供の側に立ってください。
例えば子供が不登校に陥っている時に、あるいは家庭内暴力などの時に、親が激しく子供を叱責するような場面があります。
このような場面で、両親二人そろって子供を責めるようなことはあってはなりません。必ずどちらか一人は、理窟抜きで子供を擁護する側に回って、シェルターの役割を果たすべきです。
もし二人から責められたら、子供にとってはその家がさらに居たくない場所になり、親は忌むべき人間という思いを強化してしまうことになりかねないからです。

これは決して大げさに言っているのではなく、昭和55年、川崎市で起きた22歳の浪人生が就寝中の両親を殺害した、いわゆる「金属バット殺害事件」は、普段は子供の味方になっていた母親が、その日に限って父親と一緒になって子供を責めた、その日の真夜中に起きました。

本当のことは誰にも分からないのですが、しかし少なくても、そのような追い詰め方をしなければ、防げたのではないでしょうか。

なお、この「一人は子供の側に回る」ということについての補足ですが、それはただ気持ちの上でというのではありません。
「私はお前を守っている、私はお前の見方だよ」ということを、その場面で許されるだけ態度、行動ではっきりと示す必要があります。
 例え母親が心の中で「お父さんは責めすぎではないか。子供がかわいそう」などと思っていても、それをその場で表明しない限り、子供にとって母親は自分が責められているのを黙って見ている傍観者に過ぎません。

この「傍観している母親」を子供はどのように見るでしょうか。良くて「母親は結局は自分を守る気はない」「自分を守る力はない」、悪くすれば「母親も一皮剥けば父親の側の人間なんだ」という思いに囚われかねません。ですから、子供の側に立つのであれば、出来る範囲で必ず言葉や態度でその意思を示してください。

今回はこれで終わりです。次回もよろしくお願いします。

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8.拒否すべきことは拒否

親に対する感情が激しくなるにしたがって、子供からさまざまな要求が出てきたり、嫌なことを強制されることがあります。その場その場で判断を強いられ大変でしょうが、拒否すべきことは拒否してください。

例えば言葉で際限なく責め続けられること、「土下座して謝罪しろ!」などと迫られること、暴力を振るわれることなど、親として耐えられないことは拒否すべきです。

そのようなことを受け入れたところで、子供の心は決して楽にはならず、逆に彼らをさらに苦しめることになり、事態の悪化を招くだけにすぎません。

「その衝動を発散させることによって、子供の心を和らげる」などというのは大きな誤解です。

また暴力などをそのまま受け入れるなどは、決して「受容」にもなりません。受容の根底には相手を一人の人格として認め、それを尊重する心があり、相手の要求をすべて受け入れることとは全く違います。

「受容する」という発想でこのようなことまでも受け入れるなら、その発想は大所高所から子供を見る見方で、自分と同等の一人の人格とは認めていません。彼らはそれを敏感に感じ取ります。この結果「ここまでしても、そういう態度か!」と、さらに怒りを増すだけです。

もし、暴力を拒否できない状況であれば、それはその家族内では解決できない事態と思い切る勇気が必要です。
相談機関なり親戚なり知人などを頼り、なんとしても物理的に離れるということを考えるのが当面の最善の策だと思います。

「もし親が家を出てしまえば家庭が崩壊する」などと考えるのも間違いです。シビアに見れば家庭崩壊とは形ではありません。そのような状況では、すでに家庭が崩壊しています。
まずはその状況を断ち切り、改めて新しい家庭を作るための策を考えましょう。

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モモについて

うちのネコはモモといって、メインクーンのオスです。私は布団を敷いて寝るのですが、すぐ隣にサイドボードがあって、以前はその上に鉢植えの植物が置いてあったのですが(何の花か忘れましたが・・・)、モモはその上を歩きながら、鉢が邪魔だったようで、それを前足でひっかけて、下に落とすのですよ。
普通は、ネコというのはもう少しナイーブだと思うのですが、ネコにも個性があるようで、モモはポタポタ水がたれる洗面台の中や、濡れ雑巾が入っているバケツの中で、イビキをかきながら熟睡していたりします。
何しろ長毛種ですから、そういうことをした後は濡れ雑巾のようになっていて、最近はバクテリアが発生しているらしくて、本当に雑巾の匂いがします。その匂いは強くて、彼がそばにくると、匂いで分かる、そこまでになっています。
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